なぜ岡山に残ってきたのか
朝日米は、
岡山県で受け継がれてきたお米です。
ただ、もともと朝日は
岡山だけの品種だったわけではありません。
岡山県の研究報告では、
朝日は1930年代に
関東以西で53万haにも達する普及をみた
“旭系”品種の一つとされています。
つまり、かつては西日本を中心に
広く作られていたお米でした。
それが現在では、
全国で広く残っている品種ではなく、
岡山を中心に受け継がれる
品種になっています。
岡山県の公式ページでも、
朝日は県南部で栽培される品種として整理され、
令和7年の
県内栽培面積は2,160haとされています。
では、なぜ朝日米は
他県では残りにくく、
岡山で残ったのでしょうか。
その背景には、
朝日米という品種そのものが持つ
残りにくさと、
それでも岡山では残せる条件があったことの
両方があります。
朝日米そのものの特徴や背景は、
朝日米とはでまとめています。
朝日米は、もともと他県でも作られていた
朝日米は、
旭(あさひ)系統の流れを受け継ぐお米です。
岡山県の研究報告では、
もとの旭は1909年に
京都で在来種の日ノ出から選抜され、
1917年に岡山県農事試験場へ導入されました。
その後、1925年から1931年にかけて
岡山で純系選抜が行われ、
「朝日47号」が育成され、
以後、岡山ではこれを「朝日」として
系統維持してきたと整理されています。
つまり朝日米は、
単に昔から残ってきた
古い品種ではありません。
京都の旭にさかのぼる系譜を持ち、
岡山で選抜・育成を経て
受け継がれてきた品種です。
他県では残りにくい品種になった
朝日米が現在まで
全国的に残らなかった理由は、
品種としての特性にあります。
岡山県の研究報告では、
朝日は晩生で、
長稈で倒伏しやすく、
さらに極めて
脱粒しやすい品種とされています。
実際、脱粒はコンバイン収穫時の
損失要因となり、少なくとも8%以上の
収穫損失が生じていると見積もられています。
いまの米づくりでは、
味だけでなく、
・収量が取りやすいか
・倒れにくいか
・機械収穫しやすいか
・早く新米として出しやすいか
といった点も、
品種選択の大きな基準になります。
その意味で朝日米は、
現代の基準では
広がりやすい品種ではありませんでした。
他県で置き換えが進んだのは、
不自然なことではないといえます。
また、朝日米は晩生であるため、
例年、早い時期から新米として
大々的に販売される米ではありません。
コシヒカリのような
早生品種が先に新米商戦へ入るため、
朝日米は例年、後手に回りやすくなります。
つまり朝日米は、
農家にとって、栽培面だけでなく、
販売面でも不利になりやすい
品種だったといえます。
岡山には、朝日を残せる条件があった
では、なぜ岡山では残ったのでしょうか。
一つは、
岡山に稲作の土台があったことです。
岡山県は、
温暖な気候、比較的長い日照時間、
そして三大河川の水に恵まれた地域です。
さらに沿岸部では干拓が進み、
とくに児島湾周辺では
江戸時代以降の新田開発によって
水田地帯が広がってきました。
岡山の稲作は、
こうした土地開発と水田管理の蓄積の上に
成り立っています。
もう一つは、
岡山側に
朝日を扱い続ける蓄積があったことです。
岡山県の研究報告では、
岡山南部では朝日が
長年栽培されてきたことに加え、
同じく長稈で倒伏しやすい
雄町やアケボノも栽培されてきたため、
生産者は朝日の倒伏を軽減する
栽培管理方法を熟知している
とされています。
つまり朝日は、
「岡山でしか作れない品種」だった
というより、他県では残しにくく、
岡山には残せる技術と蓄積があった品種
と見る方が自然です。
栽培環境だけではない、岡山に残った理由
朝日米が岡山で残ってきた理由は、
生産面だけではありません。
岡山県の研究報告では、
朝日はコシヒカリに比べて
粘りが弱く硬めである一方、
食味官能検査では味が良く、
総合評価も高いこと、
そしてその食味特性が
岡山県の瀬戸内地域の消費者嗜好と
合致していたことが、長く奨励品種として
栽培され続けた一因だとされています。
岡山県の公式ページでも、
朝日は
「粘りが強すぎず、
上品でさわやかな甘味と旨味が特長」
とされ、
すし飯として人気があると
紹介されています。
県の広報でも、
粘りが少なく、歯ごたえがあり、
冷めてもおいしいことから、
ばらずしのような郷土料理にも
適するとされています。
つまり朝日は、
収量や効率のよさで残ったのではなく、
主流米とは異なる食味と役割が
岡山で受け止められてきたことで残った
品種だといえます。
岡山城下で磨かれ、受け継がれてきた朝日米
岡山という土地を考えるとき、
岡山城と城下町の歴史は外せません。
岡山市の都市の歴史は、
およそ400年前の岡山城築城と
城下町建設に始まるとされています。
岡山城の天守は1597年に完成し、
その後、旭川や旧城下町を軸に、
今の岡山の中心へとつながる町の土台が
形づくられていきました。
つまり岡山は、
ただ米を作る土地というだけでなく、
人と物が集まり、
町の中で価値が見極められていく土地でもあった
と考えられます。
その岡山では、
食文化の中でも米の役割が大きく、
ばらずしは祝い事や来客のもてなしにも作られてきた
代表的な郷土料理です。
そして岡山県も、朝日米は粘りが少なく、
ほんのりとした甘味、歯ごたえ、冷めても変わらない
おいしさがあり、県の郷土料理である
「ばらずし」などのお寿司にも
最適だと紹介しています。
朝日米が岡山で受け継がれてきた背景には、
作りやすさや効率だけではなく、
岡山の食文化の中で役割を持つ
「よい米」として選ばれてきたこともあったのでしょう。
近世の記録には、
岡山城下を流れる川が
「朝日川」とも呼ばれた説明が見られます。
なお、旭川と朝日米の名の響きには、
どこか通じ合うものも感じられます。
両者を直接結ぶ確かな史料があるわけではありませんが、
岡山の歴史をたどると、
旭川文化の継承と朝日米の継承は、
同じ土地の記憶の中で重なり合って見えてきます。
そう考えると、
「旭」と「朝日」という名が
この土地の中で響き合うように残ってきたことにも、
どこか岡山らしい余韻が感じられます。
その流れは、
過去の話として途切れたわけではありません。
旭川沿いの京橋周辺には、
かつて人や物資の往来が集まった場の記憶が、
今も残っています。
京橋朝市は1989年から
旭川河畔で続く催しで、現在も多くの店と人が集まる
朝市として親しまれています。
そう考えると、
朝日米が今も岡山で受け継がれていることも、
単に古い品種だからではなく、
岡山の暮らしと食文化の中で
役割を持ち続けてきた米だからだと
見るほうが自然です。
まとめ|朝日米は、岡山が残してきた米
朝日米は、
かつては岡山だけでなく、
西日本を中心に広く作られていたお米でした。
しかし、倒れやすく、脱粒しやすく、晩生でもあるため、
現代の米づくりでは残りにくい品種でもありました。
そのため多くの地域では、
より作りやすく、売りやすい品種への置き換えが進みました。
一方で岡山には、
稲作を支えてきた土地の条件があり、
旭系統を受け継いできた歴史があり、
倒伏しやすい品種を扱う技術の蓄積もありました。
さらに、朝日の食味は地域の嗜好にも合い、
良食味米のルーツとして今も県を代表する品種の一つに
位置づけられています。
朝日米は、岡山に残った米であると同時に、
岡山が残してきた米でもあるのです。
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